12年やった芸人を辞め、生バンドカラオケ「バンカラ梅田」の店長になり、株式会社フラワーズロマンスの代表取締役社長になった元芸人が経営者として成長して行くブログ。

バンカラという梅田にある生バンドカラオケのお店で店長をしながら、「株式会社フラワーズロマンス」と言う会社を作りました。元芸人でフラワーズオブロマンスというコンビで活動していました。司会業、結婚式二次会プロデュース業、エンターテイナー派遣業もしています。

社会不適合者だとずっと思ってた。

まともな大人になれないと思っていたけど、結構まともな大人になったなぁ。と思います。

 

 

18歳で鹿児島から出てきて、高槻にある印刷工場で働きました。

 

 

働きながらいくつかの事に絶望しました。

 

・だいたい将来の収入が想像できた。

 

課長、部長の生活の仕方を見ていたらだいたいの収入が想像できました。

だいたいこんくらいもらって、家族を作って。週末はこんな感じで過ごして。

未来が想像できてしまう事が恐ろしくてしょうがなかった。

答えがわかってるものを、答え合わせしながら生きていくなんて恐ろしかった。

 

 

・尽くしても身体壊したらお払い箱になる。

 

すごく好きな先輩(オッサン)がいました。

そのオッサンは、とても仕事を頑張っていましたが、腰に負担がかかる仕事だったので、ヘルニアになってしまいました。

技術的にヘルニアではできない仕事だったので

上司から煙たがられ、いろんな部署の軽作業をたらい回しにされるようになりました。

「会社に仕事で尽くしてきて、その仕事によって身体を悪くしたのに、結果たらい回しになるんだ。」

と絶望しました。

誰に話しても、「でも会社ってそんなもんだよ。」と返答が返ってくる事が更に絶望を深くしました。

 

・存在意義を見出せない作業。

 

僕は機械のオペレーターの仕事に就きました。

最初は覚えるのが大変だったけれど、慣れた頃に「これおれじゃなくてもある程度やれば誰でもできるな。」と気づきました。

じゃあ僕は何で存在意義を感じたらいいんだ。と絶望しました。

 

 

僕がその会社に絶望する傍ら、周りの人は「労働とは、生きるとは、社会とはそういうもんだ。」と言っていました。

 

 

「僕はみんなが我慢して受け入れる事を受け入れる事ができない人間なんだ。」

 

 

「社会不適合者なんだ。」

 

 

と絶望し、逃げるように芸人になりました。

 

 

そして芸人になってからも、「芸人を辞めたらただの社会不適合者になってしまう。」という強迫観念に駆られて生きていました。

 

 

 

芸人を辞めて、二年お店の店長なんかやって、ボランティアまで始めてる。

 

 

自分は社会不適合者なんじゃないか?と怯えてる20歳くらいの子たち。

 

 

なんとかなるよ。